久保田論文 第一章
KUBOTA STUDY CHAPTER 1
前書き
新年早々元気な声をお聞きして大変 うれしく存じました。 私は丁度90才になりました。心も体も すっかり弱って漸くその日を過ごして いる毎日ですが大変元気づけられたように思います。 年と共に重力に押さえつけられるのですが何とか自分一人で生きて行けるようジムに週2~3回通っています。 さて、AIについて一筆書くようにとのことですがこれもチャレンジかと思い果たして御期待に副えるもの が書けるかと心配です。一応の執筆の方向性のようなものをまとめてみました。 このようなものでどう かお伺いします。
第一章 AIとの出会い
1981年、私の勤めていた会社は当時急速に需要の拡大が見込まれていたロボットの製造に進出しようと試みていた。 当時、産業ロボットの分野では川崎重工が アメリカのUNIMAT社と提携して先行していた。
そこで米国のシンクタンクに委託研究して必要な技術を導入しようということになった。 当時、自分は総合システム部長というポストにあった。 総合システム部というのは、会社として未知未経験分野で商談があれば対応して事業化する、 自途がつけば営業と製造を夫々に既存の分野に引き渡すという駆け込み寺の住職 ような立場であった。
従って自分は当社のプロジェクトチームの窓口の役目を引き受けることになった。 当社は設計上の問題点を提起して米国のシンクタンクに具体的な手順をまとめて貰うことになった。 構造設計、ジョイント、制御系, actuator等に関し ては当社側から具体的なテーマの設定を提出したがこちらの気付かないs/w, simulation, sensor等については、米国のシンクタンクからの提案があった。
これらの研究結果については1983年にRobot Handbookという冊子になり米国のシンクタンク側は、これを更に精査してRobot Design Handbook として1988年にMcGraw Hill から出版された。
AIというテーマも米国のシンクタンクから提案された。たしかに ロボットに人間としての智能を備えることが出来れば,まさにSFの世界での理想であろう。当時アシモ というロボットが日本で評判になっていた。
米国のシンクタンク側の説明ではAIはエキスパートシストムとも呼ばれるもので全体はファミリートリーのようにサブシステムになっており類似の枝が多数出ており、 枝の先から inference engine(推論エンジン)により 類似のものから類推して全体を構築して行くという説明があった。自分の判断ではそのような方法で作ったものが果たして信頼出来るものとは限らない。何か類推だけでは見えてないも のがあるのではないか。 例えて言えば、3次元空間の問題を2次元の微分方程式を多数集めて解いても 信頼に値する3次元空間の解は得られないのではないかと感じた。
結局、正式の研究テーマには採用されずに 将来の研究とされたが、自分の頭の中ではcomputer を人智に対応するものとして利用しょうとする発想には深く感心するとろがあった。